個人手記アーカイブ
カリ。カリ。と。
紙の上を滑るペン先の音。センサーを刺激するそれを、ミュートにはしない。
植物性のパルプ紙に、顔料インクで予定を書き込む。その音を聞いているのですから。
所謂、スケジュール帳と、ボールペンです。
内蔵メモリーにタイムスタンプを刻めば、一瞬なのでしょうけれど。
今ではなかなか手に入らない骨董品を使って、歴史を刻んでいくのが好きでした。
「マネージャーさんって」
「たまに昔の人みたいなことしてまーす」
いつもラブミューは同じことを。同じ笑顔で言うのです。
肉の体でも、同じ笑顔だということは。いつも同じ気持ちなのでしょう。
私も、いつも同じ返事で。
「私の趣味なんだよ」
「こうやっている方がラブミューの歴史が、積み重ねが見えやすいだろう?」
ページを捲ってラブミューに見せてみます。
落書き。消し跡。予定の変更。
全てそのまま残っています。
レッスンで汗を流し、喉が渇いたと言い、お腹が空いたという。
シャワーを浴び、水を飲み、差し入れのタブレットを食べる。
それからまたレッスンへ向かい、少しずつ、確実にステップを覚えていく。
その歩みは。最適化された義体のデータ更新とは違うものでした。
生身の人間だけが持つ時間の積み重ねでした。
私はその時間を。守りきれなかった。
ハイペリアウト社から『アルララスⅥ』への移行オファーが届いた日、ラブミューはあっけらかんと笑い飛ばした。
時代遅れのアイドル。未だ生身の、骨董品。
古代人類。
それが、最新モデルになれるというのに。
「皆と会える時間が少ないのはさみしいですけれど」
「その分毎回、これが最高で、最後で良いって思えるくらい、皆に笑顔を届けて、笑顔をもらっています 」
ああ、やっぱり。ラブミューはラブミューですね、と。
その選択を誇らしく思いました。わかりきっていました。
しかしその選択は、巨大企業からすれば間違いでした。許されざる反逆だったのでしょう。
その日からどんどんと、ラブミューの出演許可は凍結されていきました。
カリ。カリ。と。
予定の変更、消し跡が増えるばかり。
その上ジェイノス社から届くはずの、物資が遅延し始めました。
ジェイノス社CEOは周囲からも呆れられるほどの、古代人類愛好家のはずです。
ラブミューの生命維持に必要なものを、喜んで提供してくれているのです。
今では誰にも必要のない。生身の人間にとって必要なものを。
嫌な予感がしました。
それから。
久しぶりに受けた連絡は、ハイペリアウト社からのものでした。
ええ。あの、メガライブです。
ハイペリアウト社が全額出資し、再開発区の更に旧区画に特設されるという物理の、実物のステージ。
データ空間ではなく、ストリームでもない。
本物のステージでのライブです。
照明がステージの上を照らし、スピーカーからの音で床と空気が揺れる。
そんなステージで歌えるのだと知った時、ラブミューはこれまでにないほどの笑顔で。
幸せそうに、笑っていました。
私はこの誘いが甘い罠だとわかっていたのに。
あの笑顔と、会社からの脅迫と。
どちらにも屈して、手帳にこの予定を書き込みました。
開演五分前。
舞台袖の薄暗がりで、ラブミューの身体から普段よりも熱と鼓動を感じました。
期待と、興奮なのでしょう。
観客も現地まで足を運び、場所を確保できないものはホログラムとして席についています。
私もこの喜びにサーバーでの脳演算が追いつかなくなりそうでした。
そこに、不安もあって。
私はラブミューの肩に手を置いて。
言えるはずのなかった真実の代わりに、せめてもの警告を絞り出しました。
「ラブミュー」
「少し興奮しているようだね。
……当然か、初めてのリアルステージだものね」
「ねえ、見て。あれは昔使われていたモニターを再現したものだよ」
「あれで500kgもあるんだ、恐ろしい話だろう?」
「気をつけて、いってらっしゃい」
ラブミューはいつもの調子で。
「キラキラ☆ラブ★アイドル~~~!」と大きく手を振って。
光の中へと駆け出していきました。
デビュー曲の『クラっと☆シュミラクラクラ』を歌い終え、挨拶を。
それからこのリアルステージへの感想と、ハイペリアウト社への感謝を告げ。
………。
私はステージを直視できませんでした。
ステージ下で、うずくまっていました。
直視せずとも、視界へとステージの映像が流れ込んできます。
うずくまっていたら、予定通りに。正確に、事故は起きました。
ああ、知っていたのです!
ラブミュー、あなたも!
私がハイペリアウト社から、あなたをかばうほどの力がないと、知っていたのでしょうか。
ステージに立ち、微笑むラブミューの頭上。
幸せそうな、今にも涙が零れそうなラブミューへ。
巨大モニターを吊るすワイヤーが弾け、きれいに、まっすぐと、予定通り。
500kgのそれは、ラブミュー目がけて垂直に落下したのです。
それでも、私の言葉を覚えていてくれたのか。
ラブミューは生身の人間としてはそこそこの反応速度で、軌道から身を逸らしました。
けれど!なんてこと。
肉を潰すための重量は、当然床だって潰してしまって。
崩落した昇降台とともに、ラブミューは奈落へ吸い込まれていきました。
悲鳴を上げる間もなかったというのに。
笑顔で、観客へと手を振って落ちていきました。
ラブミューが床に叩きつけられる直前、回収班が飛び出してきました。
助けるためではなく、新型義体・アルララスⅥの受信ユニットを差し出して、脳神経データを吸い上げるために。
ラブミューが床に叩きつけられると同時に、頭上に空いた穴へ飛び上がっていったのは。
傷も、煤も、なにもない、完璧なラブミューでした。
何事もなかったかのように、ラブミューは歌い、踊り、観客へ笑顔を振りまきます。
何事もなかったので、ライブはそのまま止まりませんでした。
床に横たわるラブミューからこぼれる赤い液体も、止まりませんでした。
あれが血液なのだと、私は初めて知ったのです。
その日、そのメガライブは数億アクセスを記録し。
完全義体化の奇跡として大成功のまま幕を閉じた。
すべてが終わり、静まり返った奈落の底。
そこには、床に横たわり、途切れ途切れに血を吐きながら微かに息をしているラブミューと。
舞台から降りてきたばかりのアルララスⅥ。
いえ、ラブミューが居ました。
ラブミューは、床に倒れる自分自身を見下ろして、しゃがみこみ。
その冷え切って色を失っていく手をそっと握っていました。
「ライブは終わりました」
「ラブミュー」

義体の口から、寸分違わぬ声が零れる。
握り合わされたふたつの手。
片方は体温を失っていく本物の肉体。もう片方は内蔵ヒーターによって完璧な人肌を再現された模造品。
ラブミューの瞳から光が消え、完全に動きを止めるまで。
義体のラブミューはずっと無邪気な笑みを浮かべたままその手を離さなかった。
私には、ラブミューが何を考えているかなんて。
恐ろしくて、知りたくもなくて。
その場を逃げ出してしまったのです。
手元にある手帳を開く。
明日のページには、もう何の予定も書かれていない。
インクの乗っていない真っ白な余白を見つめながら、私はこの紙を閉じる。
ラブミューにはもう、マネージャーは必要ありません。
生身の人間は予定を忘れたり、ミスをしたり、したけれど。
だってもう!ラブミューは肉の体ではないのだから!
ラブミューの歴史は、ここで終わったのでしょう。
私が見て聞いて、ラブミューのデータをサーバー上に残しているのに。
何度でも再生できて、見返すことができるのに。
義体のラブミューが、ラブミューを再現してくれているのに。
私には、なぜか。
もう二度とラブミューに会えない。
そんな喪失感があったのです。
彼の歴史は、ここで終わってしまいました。
紙の上を滑るペン先の音。センサーを刺激するそれを、ミュートにはしない。
植物性のパルプ紙に、顔料インクで予定を書き込む。その音を聞いているのですから。
所謂、スケジュール帳と、ボールペンです。
内蔵メモリーにタイムスタンプを刻めば、一瞬なのでしょうけれど。
今ではなかなか手に入らない骨董品を使って、歴史を刻んでいくのが好きでした。
「マネージャーさんって」
「たまに昔の人みたいなことしてまーす」
いつもラブミューは同じことを。同じ笑顔で言うのです。
肉の体でも、同じ笑顔だということは。いつも同じ気持ちなのでしょう。
私も、いつも同じ返事で。
「私の趣味なんだよ」
「こうやっている方がラブミューの歴史が、積み重ねが見えやすいだろう?」
ページを捲ってラブミューに見せてみます。
落書き。消し跡。予定の変更。
全てそのまま残っています。
レッスンで汗を流し、喉が渇いたと言い、お腹が空いたという。
シャワーを浴び、水を飲み、差し入れのタブレットを食べる。
それからまたレッスンへ向かい、少しずつ、確実にステップを覚えていく。
その歩みは。最適化された義体のデータ更新とは違うものでした。
生身の人間だけが持つ時間の積み重ねでした。
私はその時間を。守りきれなかった。
ハイペリアウト社から『アルララスⅥ』への移行オファーが届いた日、ラブミューはあっけらかんと笑い飛ばした。
時代遅れのアイドル。未だ生身の、骨董品。
古代人類。
それが、最新モデルになれるというのに。
「皆と会える時間が少ないのはさみしいですけれど」
「その分毎回、これが最高で、最後で良いって思えるくらい、皆に笑顔を届けて、笑顔をもらっています 」
ああ、やっぱり。ラブミューはラブミューですね、と。
その選択を誇らしく思いました。わかりきっていました。
しかしその選択は、巨大企業からすれば間違いでした。許されざる反逆だったのでしょう。
その日からどんどんと、ラブミューの出演許可は凍結されていきました。
カリ。カリ。と。
予定の変更、消し跡が増えるばかり。
その上ジェイノス社から届くはずの、物資が遅延し始めました。
ジェイノス社CEOは周囲からも呆れられるほどの、古代人類愛好家のはずです。
ラブミューの生命維持に必要なものを、喜んで提供してくれているのです。
今では誰にも必要のない。生身の人間にとって必要なものを。
嫌な予感がしました。
それから。
久しぶりに受けた連絡は、ハイペリアウト社からのものでした。
ええ。あの、メガライブです。
ハイペリアウト社が全額出資し、再開発区の更に旧区画に特設されるという物理の、実物のステージ。
データ空間ではなく、ストリームでもない。
本物のステージでのライブです。
照明がステージの上を照らし、スピーカーからの音で床と空気が揺れる。
そんなステージで歌えるのだと知った時、ラブミューはこれまでにないほどの笑顔で。
幸せそうに、笑っていました。
私はこの誘いが甘い罠だとわかっていたのに。
あの笑顔と、会社からの脅迫と。
どちらにも屈して、手帳にこの予定を書き込みました。
開演五分前。
舞台袖の薄暗がりで、ラブミューの身体から普段よりも熱と鼓動を感じました。
期待と、興奮なのでしょう。
観客も現地まで足を運び、場所を確保できないものはホログラムとして席についています。
私もこの喜びにサーバーでの脳演算が追いつかなくなりそうでした。
そこに、不安もあって。
私はラブミューの肩に手を置いて。
言えるはずのなかった真実の代わりに、せめてもの警告を絞り出しました。
「ラブミュー」
「少し興奮しているようだね。
……当然か、初めてのリアルステージだものね」
「ねえ、見て。あれは昔使われていたモニターを再現したものだよ」
「あれで500kgもあるんだ、恐ろしい話だろう?」
「気をつけて、いってらっしゃい」
ラブミューはいつもの調子で。
「キラキラ☆ラブ★アイドル~~~!」と大きく手を振って。
光の中へと駆け出していきました。
デビュー曲の『クラっと☆シュミラクラクラ』を歌い終え、挨拶を。
それからこのリアルステージへの感想と、ハイペリアウト社への感謝を告げ。
………。
私はステージを直視できませんでした。
ステージ下で、うずくまっていました。
直視せずとも、視界へとステージの映像が流れ込んできます。
うずくまっていたら、予定通りに。正確に、事故は起きました。
ああ、知っていたのです!
ラブミュー、あなたも!
私がハイペリアウト社から、あなたをかばうほどの力がないと、知っていたのでしょうか。
ステージに立ち、微笑むラブミューの頭上。
幸せそうな、今にも涙が零れそうなラブミューへ。
巨大モニターを吊るすワイヤーが弾け、きれいに、まっすぐと、予定通り。
500kgのそれは、ラブミュー目がけて垂直に落下したのです。
それでも、私の言葉を覚えていてくれたのか。
ラブミューは生身の人間としてはそこそこの反応速度で、軌道から身を逸らしました。
けれど!なんてこと。
肉を潰すための重量は、当然床だって潰してしまって。
崩落した昇降台とともに、ラブミューは奈落へ吸い込まれていきました。
悲鳴を上げる間もなかったというのに。
笑顔で、観客へと手を振って落ちていきました。
ラブミューが床に叩きつけられる直前、回収班が飛び出してきました。
助けるためではなく、新型義体・アルララスⅥの受信ユニットを差し出して、脳神経データを吸い上げるために。
ラブミューが床に叩きつけられると同時に、頭上に空いた穴へ飛び上がっていったのは。
傷も、煤も、なにもない、完璧なラブミューでした。
何事もなかったかのように、ラブミューは歌い、踊り、観客へ笑顔を振りまきます。
何事もなかったので、ライブはそのまま止まりませんでした。
床に横たわるラブミューからこぼれる赤い液体も、止まりませんでした。
あれが血液なのだと、私は初めて知ったのです。
その日、そのメガライブは数億アクセスを記録し。
完全義体化の奇跡として大成功のまま幕を閉じた。
すべてが終わり、静まり返った奈落の底。
そこには、床に横たわり、途切れ途切れに血を吐きながら微かに息をしているラブミューと。
舞台から降りてきたばかりのアルララスⅥ。
いえ、ラブミューが居ました。
ラブミューは、床に倒れる自分自身を見下ろして、しゃがみこみ。
その冷え切って色を失っていく手をそっと握っていました。
「ライブは終わりました」
「ラブミュー」

義体の口から、寸分違わぬ声が零れる。
握り合わされたふたつの手。
片方は体温を失っていく本物の肉体。もう片方は内蔵ヒーターによって完璧な人肌を再現された模造品。
ラブミューの瞳から光が消え、完全に動きを止めるまで。
義体のラブミューはずっと無邪気な笑みを浮かべたままその手を離さなかった。
私には、ラブミューが何を考えているかなんて。
恐ろしくて、知りたくもなくて。
その場を逃げ出してしまったのです。
手元にある手帳を開く。
明日のページには、もう何の予定も書かれていない。
インクの乗っていない真っ白な余白を見つめながら、私はこの紙を閉じる。
ラブミューにはもう、マネージャーは必要ありません。
生身の人間は予定を忘れたり、ミスをしたり、したけれど。
だってもう!ラブミューは肉の体ではないのだから!
ラブミューの歴史は、ここで終わったのでしょう。
私が見て聞いて、ラブミューのデータをサーバー上に残しているのに。
何度でも再生できて、見返すことができるのに。
義体のラブミューが、ラブミューを再現してくれているのに。
私には、なぜか。
もう二度とラブミューに会えない。
そんな喪失感があったのです。
彼の歴史は、ここで終わってしまいました。