生前の記録その5『友達』
僕を元の世界に帰すための方法は、なかなか見つからなかった。
シュベルグさんは異世界が存在する可能性について考えてはいたようだけれど。
一族の遺した文献の中にも、人里の文献にも僕のような例の記録は一切無く。
異世界へ渡る術や異世界から何者かを召喚する術も今のところは存在しないらしい。
僕が気づいたら居た森に何か手がかりが無いか捜索してくれたそうだけど成果は無かったそうだ。
このまま元の世界に帰れないのかな。
ソリュードくんとの関係も、結局ギクシャクしたままだし。
この世界にきてどれだけの日数が経っただろうか。
元の世界では僕が行方不明になったって事件になっていないだろうか。
父さんも母さんも友達も元気だろうか。
心配事は尽きなかったけれど、今の僕にできることは無い。
いつものように、書庫で本を読んでいた時だった。
入り口の方から足音がする。
そこに現れたのはシュベルグさんではなく、ソリュードくんだった。
彼も本を取りに来たらしい。
こちらの存在を気にせず、本棚から数冊の本を取り出した。
かと思えば、不意にこちらに視線を向けられる。
視線の先に有るのは、今僕の手元に有る本だ。
「……それ」
「あ、もしかして読みたかった?ごめん、今僕が読んでて……」
「どこまで読んだ」
「えっ?」
「どこまで読んだと聞いている」
彼もこの本を読みたくて声をかけてきたわけではないらしい。
隠すことでもないので素直に答える。
「えっと、ルーラルの正体がイルミナシオンだとわかったところ」
「違う。イルミナツィオーンだ」
ソリュードくんがこちらに近づくと持っていた本を机の上に置き、僕の手元に有る文字表を見やる。
そして、その中の一つの文字を指さして。
「この字とこっちの字が並んでいる時は『シ』ではなく『ツィ』。そう読む」
「あ、そうなんだ……」
慌てて文字表に追記する。
正直、ちょっと驚いている。
この間の事が有ったから彼の方から僕に声をかけられると思っていなかった。
「……その本、面白いだろ。僕も好きな本だ」
机の上に置かれた本を持ち直すと、彼はそう言い残して書庫から去って行った。
それからだ、僕らの関係が少しずつ変わって行ったのは。
シュベルグさんが大きな白い犬、サモエド犬のような子を連れてきた。
『フェンリル』と呼ばれたその犬はこの城で飼われているらしい。
ちょっと体調を崩しており知り合いの獣医さんの所に預けていたのだとか。
フェンリルというと北欧神話を思い出すのだけれどこの子は魔物でも狼でもなく普通の犬らしい。
白い毛並みがふわふわでとても可愛い犬だった。
初めて見る僕の事にも興味津々で尻尾を振ってこちらの周囲を走り回っていた。
そのフェンリルが突然、部屋の外へと駆けだした。
その先に居たのはソリュードくんで、フェンリルを見るなり屈んで頭や顎の下を撫でだした。
フェンリルは彼にとても懐いているようだった。
彼の顔をぺろぺろと舐めている。
ソリュードくんに、僅かな笑みが見えた気がした。
「……何、そんなに見つめて」
うっかり、じっと見てしまっていた。
ソリュードくんから怪訝そうな顔を向けられる。
「いや、ソリュードくんに凄く懐いてるんだなって思って」
「可愛がってるからね」
そう言いながらももふもふをした毛並みを撫で続けている。
なんだか、今まで知らなかった彼の一面を垣間見た気がする。
「……犬は好きだよ」
――差別しないからね。
小声でそう呟いたのが聞こえた気がした。
僕が歩み寄らずとも、僕らの会話は自然と増えていった。
ソリュードくんにどういう心境の変化があったのかわからないけれど。
一緒に暮らしている内に少しずつ心を開いて来てくれてるのかなと思った。
そんな中。
ある日の朝、シュベルグさんから人里に足を運ばないかと提案された。
僕の脚の怪我はだいぶ良くなってきていた。
傷跡は残ってしまったけど抜糸を終え、松葉杖無しで歩けるくらいには回復している。
ソリュードくんも丁度起きて来ていたから、彼も一緒に行くことになった。
仕方ないから渋々、といった様子だったけど。
三人で歩いていて、城の外の森を抜けたところで気づいた事が有る。
「……あの、吸血鬼って日光に弱いんじゃないですか?」
「昔はそのような者もいたらしいが、我々は克服した。というよりも一族の中でも弱い者は淘汰されていった末に我々が居ると言うべきか」
元の世界の友達が言っていた昆虫の進化の話を思い出した。
最初の虫は翅を持たず空を飛べなかった。
だから花の蜜を吸うのにも獲物を狩るのにも一苦労だった。
それが世代交代をしていく中で翅が生え、現在の多くの昆虫の姿がある。
それは人間も動物も同じ。
どうすれば生き残れるか、進化していった末に今の僕達生命が居る。
シュベルグさん達のような魔族の人達もそんな感じで、僕の知る吸血鬼像とはかけ離れたものになったらしい。
だからなのかシュベルグさんは日光から肌を隠すような服装はしていない。
それでもソリュードくんは顔を出したくないのか上着のフードを被ったまま歩いていたけど。
人里に着くと、そこはテレビで観た異国の街のような風景が広がっていた。
街中には様々なものが並ぶ市場があり多くの人で賑わっている。
中でもゴツゴツとした見た目の大きな果物のようなものが気になった。
商人のおばさんが皮を剥き、試食を勧めてくる。
「ああ、それは」
「それはシンレイバの実。みずみずしくて美味しいよ」
シュベルグさんが話すより先にソリュードくんに説明をされた。
相当珍しい事なのか、シュベルグさんが少し驚いた表情で隣のソリュードくんの顔を見ている。
食べたら?と言うのでソリュードくんからも勧められるままに、一口サイズに切られたその実を口に入れる。
その瞬間、シュベルグさんが頭を下げ「あーあ」と言わんばかりに右手を額に当てているのが見えた。
実を齧れば口の中に甘い――それもただ甘いだけじゃない。海外のお菓子のような、砂糖をどっさり口に入れた時のような尋常じゃない甘ったるさだ。
「甘っっっっ!」
思わず声が出た。
商人のおばさんが笑う。そしてソリュードくんもふっと笑うのが見えた。
「……それは本来はブラックコーヒー等と共にいただくものだ。この子がすまないね」
シュベルグさんがソリュードくんを小突く。
ソリュードくんはこちらに謝ることなく、してやったりな表情を浮かべている。
まるでイタズラ小僧だ。
それからシュベルグさんはお口直しにとアイスコーヒーを買ってくれた。
ブラックではあんまり飲めないんだけれど、甘味で満たされていた口には美味しく感じた。
その後は時計屋さんとか、書店とか、いろんなお店を回った。
街の人々の生活は僕の世界とはあまり変わらないように思えた。
科学が発達していないだけで、恐らく文明レベルとしては中世辺り。
ただ、華やかに見える街の裏には良くない部分も有るみたいで。
街の中でもメインストリートから外れた通りには近づくなと言われた。
シショウクツ、というものが有るらしいのだけれどそれが何なのかは教えてもらえなかった。
子供が行くのには危険な場所だ、とだけ。
人里への外出は楽しかった。
城の中とは違い解放された気分だった。
それから定期的に僕は人里へと連れ出された。
ソリュードくんとの距離も段々近づいている気がする。
だから僕は、ある日の夕食を終えた後。
廊下で自室に戻ろうとするソリュードくんの背後から、話を切り出した。
「ねえ。やっぱり、なれないかな僕達。『友達』に……」
ソリュードくんが立ち止まり、振り返る。
その表情は以前同じ話をした時とは明らかに違っていた。
無表情だ。何を思っているか、表情からは読み取れない。
「……君が何故、そんなに『友達』なんかに拘っているか知らないけれど」
今回は怒っていない。
相変わらず呆れたような声色ではあった。
でも。
「もう、そうなんじゃないか?」
そう言って彼は顔を背け、自分の部屋へと歩いて行った。
僕はほっと息を吐いた。彼が、ようやく自分を友達だと認めてくれた。
仲良くなれた。心を開いてくれた。
それが嬉しくて、部屋に戻る足取りは軽かった。
後は彼が人殺しをやめて、シュベルグさんにもまた心を開いてくれれば。
そう願ってた。
――でも、世の中そんなに甘くはなかった。
「なん、で……」
「悪いね。捕り逃した獲物が目の前に居るのを見過ごせるほど僕は我慢強くはない」
それから数日後の事だった。
陽が落ちて間もない頃。ソリュードくんから二人で人里へと行かないかと誘われた。
この時間の街も悪くないと。
僕らの中が深まっているとシュベルグさんも気づいていたようで、すんなりと外出の許可をくれた。
人里にはインプは連れて行けないから、置いて行くことにした。
それがどうだろう。
今僕は、彼の作り出した鉄の杭の数々で衣服を木に縫い留められ、身動きを取れなくされている。
「こんなこと、シュベルグさんが許すはずないよ」
「そうかな」
僕はこれからソリュードくんに何をされるのかわかっていた。
嫌でもわかった。
出会った日のように、殺されようとしているのだと。
「もし君の言う通りこれから僕がする事を許さないというのなら、あの人はすぐに来るよ。あの夜みたいに。でも、今回はどうだい?」
ソリュードくん曰く、シュベルグさんは勘が良い。
だから止める意思が有るなら僕を遊びに誘いに出した時点で止めに入っているだろう。
それに、今もどこからか使い魔の目を通してこちらの様子をうかがっているだろうとも。
「君の事なんて、もうどうでもいいみたいだね」
くくっと目の前の彼が紅い目を細めて笑う。
僕を元の世界に帰す方法がいつまでも見つからないから諦めたんじゃないかなんて、彼は言う。
「本当にお前はお人好しの大馬鹿だね。僕が友好的に振る舞えば簡単に信じる」
これは冗談ではない。ソリュードくんは本気だ。
彼と初めて出会った時のような、冷酷な様に背筋が凍り付く。
今すぐこの場から逃げ出したい。逃げられない。
「……いいね、その目。僕を畏怖の対象だと思ってくれてる。今まで殺してきた奴らは皆、僕に何をされたかわからないまま死んでいったから」
彼が勢いよく手を振り上げたかと思うと、僕の鳩尾あたりにその手が突き刺さる。
彼の手が、お腹の中に入り込んでくる。血が滲みだして、着ているシャツが湿っていく。
助けは来ない。
シュベルグさんは前に言っていた。『身内を贔屓する事を赦して欲しい』と。
だから、今回も僕の命よりソリュードくんが僕を殺す事を許可する方を優先した。
そういう事なんだろう。
思わず涙が溢れる。
友達だと思ってたのに裏切られた事で?
シュベルグさんに見捨てられた事で?
今から僕は死ぬという事実に?
いや、全部だ。
「泣くくせに命乞いはしないのか」
ソリュードくんがつまらなそうに言い放つ。
『やめて』と言ったところで彼がやめない事はわかりきっている。
僕に対して“友達になった”という演技をしていたのだ、きっと最初からこうするつもりだったのだろう。
彼にとって僕らは捕食者と獲物の関係だったんだ。出会った時からずっと。
僕だけが仲良くなれたと勘違いをしていたんだ。
シュベルグさんも本当はソリュードくんの意図に気づいていたんだろう。
心臓がバクバクと大きく脈打つ。息が苦しい。
本当は怖い。死にたくない。でも、僕には成す術がない。
もう、どうでもよくなった。
助けが来ないのなら。元の世界にも戻れないのなら。この結末を受け入れよう。
でも、最後にこれだけ。
僕をずっと殺したかったというソリュードくんの悲願がかなうのだから。
「誰かを殺すのは、僕で最後にしてね」
恐怖で震える口元や体に無理をして、精一杯の笑顔を作って彼に向けてそう告げる。
大きな溜め息が聞こえた。
それからすぐに、何かが体の中から引き千切られたような感覚がして。
視界が隅の方からどんどん黒く塗り潰されて行って。
――そこで、僕の意識は途切れた。
シュベルグさんは異世界が存在する可能性について考えてはいたようだけれど。
一族の遺した文献の中にも、人里の文献にも僕のような例の記録は一切無く。
異世界へ渡る術や異世界から何者かを召喚する術も今のところは存在しないらしい。
僕が気づいたら居た森に何か手がかりが無いか捜索してくれたそうだけど成果は無かったそうだ。
このまま元の世界に帰れないのかな。
ソリュードくんとの関係も、結局ギクシャクしたままだし。
この世界にきてどれだけの日数が経っただろうか。
元の世界では僕が行方不明になったって事件になっていないだろうか。
父さんも母さんも友達も元気だろうか。
心配事は尽きなかったけれど、今の僕にできることは無い。
いつものように、書庫で本を読んでいた時だった。
入り口の方から足音がする。
そこに現れたのはシュベルグさんではなく、ソリュードくんだった。
彼も本を取りに来たらしい。
こちらの存在を気にせず、本棚から数冊の本を取り出した。
かと思えば、不意にこちらに視線を向けられる。
視線の先に有るのは、今僕の手元に有る本だ。
「……それ」
「あ、もしかして読みたかった?ごめん、今僕が読んでて……」
「どこまで読んだ」
「えっ?」
「どこまで読んだと聞いている」
彼もこの本を読みたくて声をかけてきたわけではないらしい。
隠すことでもないので素直に答える。
「えっと、ルーラルの正体がイルミナシオンだとわかったところ」
「違う。イルミナツィオーンだ」
ソリュードくんがこちらに近づくと持っていた本を机の上に置き、僕の手元に有る文字表を見やる。
そして、その中の一つの文字を指さして。
「この字とこっちの字が並んでいる時は『シ』ではなく『ツィ』。そう読む」
「あ、そうなんだ……」
慌てて文字表に追記する。
正直、ちょっと驚いている。
この間の事が有ったから彼の方から僕に声をかけられると思っていなかった。
「……その本、面白いだろ。僕も好きな本だ」
机の上に置かれた本を持ち直すと、彼はそう言い残して書庫から去って行った。
それからだ、僕らの関係が少しずつ変わって行ったのは。
シュベルグさんが大きな白い犬、サモエド犬のような子を連れてきた。
『フェンリル』と呼ばれたその犬はこの城で飼われているらしい。
ちょっと体調を崩しており知り合いの獣医さんの所に預けていたのだとか。
フェンリルというと北欧神話を思い出すのだけれどこの子は魔物でも狼でもなく普通の犬らしい。
白い毛並みがふわふわでとても可愛い犬だった。
初めて見る僕の事にも興味津々で尻尾を振ってこちらの周囲を走り回っていた。
そのフェンリルが突然、部屋の外へと駆けだした。
その先に居たのはソリュードくんで、フェンリルを見るなり屈んで頭や顎の下を撫でだした。
フェンリルは彼にとても懐いているようだった。
彼の顔をぺろぺろと舐めている。
ソリュードくんに、僅かな笑みが見えた気がした。
「……何、そんなに見つめて」
うっかり、じっと見てしまっていた。
ソリュードくんから怪訝そうな顔を向けられる。
「いや、ソリュードくんに凄く懐いてるんだなって思って」
「可愛がってるからね」
そう言いながらももふもふをした毛並みを撫で続けている。
なんだか、今まで知らなかった彼の一面を垣間見た気がする。
「……犬は好きだよ」
――差別しないからね。
小声でそう呟いたのが聞こえた気がした。
僕が歩み寄らずとも、僕らの会話は自然と増えていった。
ソリュードくんにどういう心境の変化があったのかわからないけれど。
一緒に暮らしている内に少しずつ心を開いて来てくれてるのかなと思った。
そんな中。
ある日の朝、シュベルグさんから人里に足を運ばないかと提案された。
僕の脚の怪我はだいぶ良くなってきていた。
傷跡は残ってしまったけど抜糸を終え、松葉杖無しで歩けるくらいには回復している。
ソリュードくんも丁度起きて来ていたから、彼も一緒に行くことになった。
仕方ないから渋々、といった様子だったけど。
三人で歩いていて、城の外の森を抜けたところで気づいた事が有る。
「……あの、吸血鬼って日光に弱いんじゃないですか?」
「昔はそのような者もいたらしいが、我々は克服した。というよりも一族の中でも弱い者は淘汰されていった末に我々が居ると言うべきか」
元の世界の友達が言っていた昆虫の進化の話を思い出した。
最初の虫は翅を持たず空を飛べなかった。
だから花の蜜を吸うのにも獲物を狩るのにも一苦労だった。
それが世代交代をしていく中で翅が生え、現在の多くの昆虫の姿がある。
それは人間も動物も同じ。
どうすれば生き残れるか、進化していった末に今の僕達生命が居る。
シュベルグさん達のような魔族の人達もそんな感じで、僕の知る吸血鬼像とはかけ離れたものになったらしい。
だからなのかシュベルグさんは日光から肌を隠すような服装はしていない。
それでもソリュードくんは顔を出したくないのか上着のフードを被ったまま歩いていたけど。
人里に着くと、そこはテレビで観た異国の街のような風景が広がっていた。
街中には様々なものが並ぶ市場があり多くの人で賑わっている。
中でもゴツゴツとした見た目の大きな果物のようなものが気になった。
商人のおばさんが皮を剥き、試食を勧めてくる。
「ああ、それは」
「それはシンレイバの実。みずみずしくて美味しいよ」
シュベルグさんが話すより先にソリュードくんに説明をされた。
相当珍しい事なのか、シュベルグさんが少し驚いた表情で隣のソリュードくんの顔を見ている。
食べたら?と言うのでソリュードくんからも勧められるままに、一口サイズに切られたその実を口に入れる。
その瞬間、シュベルグさんが頭を下げ「あーあ」と言わんばかりに右手を額に当てているのが見えた。
実を齧れば口の中に甘い――それもただ甘いだけじゃない。海外のお菓子のような、砂糖をどっさり口に入れた時のような尋常じゃない甘ったるさだ。
「甘っっっっ!」
思わず声が出た。
商人のおばさんが笑う。そしてソリュードくんもふっと笑うのが見えた。
「……それは本来はブラックコーヒー等と共にいただくものだ。この子がすまないね」
シュベルグさんがソリュードくんを小突く。
ソリュードくんはこちらに謝ることなく、してやったりな表情を浮かべている。
まるでイタズラ小僧だ。
それからシュベルグさんはお口直しにとアイスコーヒーを買ってくれた。
ブラックではあんまり飲めないんだけれど、甘味で満たされていた口には美味しく感じた。
その後は時計屋さんとか、書店とか、いろんなお店を回った。
街の人々の生活は僕の世界とはあまり変わらないように思えた。
科学が発達していないだけで、恐らく文明レベルとしては中世辺り。
ただ、華やかに見える街の裏には良くない部分も有るみたいで。
街の中でもメインストリートから外れた通りには近づくなと言われた。
シショウクツ、というものが有るらしいのだけれどそれが何なのかは教えてもらえなかった。
子供が行くのには危険な場所だ、とだけ。
人里への外出は楽しかった。
城の中とは違い解放された気分だった。
それから定期的に僕は人里へと連れ出された。
ソリュードくんとの距離も段々近づいている気がする。
だから僕は、ある日の夕食を終えた後。
廊下で自室に戻ろうとするソリュードくんの背後から、話を切り出した。
「ねえ。やっぱり、なれないかな僕達。『友達』に……」
ソリュードくんが立ち止まり、振り返る。
その表情は以前同じ話をした時とは明らかに違っていた。
無表情だ。何を思っているか、表情からは読み取れない。
「……君が何故、そんなに『友達』なんかに拘っているか知らないけれど」
今回は怒っていない。
相変わらず呆れたような声色ではあった。
でも。
「もう、そうなんじゃないか?」
そう言って彼は顔を背け、自分の部屋へと歩いて行った。
僕はほっと息を吐いた。彼が、ようやく自分を友達だと認めてくれた。
仲良くなれた。心を開いてくれた。
それが嬉しくて、部屋に戻る足取りは軽かった。
後は彼が人殺しをやめて、シュベルグさんにもまた心を開いてくれれば。
そう願ってた。
――でも、世の中そんなに甘くはなかった。
「なん、で……」
「悪いね。捕り逃した獲物が目の前に居るのを見過ごせるほど僕は我慢強くはない」
それから数日後の事だった。
陽が落ちて間もない頃。ソリュードくんから二人で人里へと行かないかと誘われた。
この時間の街も悪くないと。
僕らの中が深まっているとシュベルグさんも気づいていたようで、すんなりと外出の許可をくれた。
人里にはインプは連れて行けないから、置いて行くことにした。
それがどうだろう。
今僕は、彼の作り出した鉄の杭の数々で衣服を木に縫い留められ、身動きを取れなくされている。
「こんなこと、シュベルグさんが許すはずないよ」
「そうかな」
僕はこれからソリュードくんに何をされるのかわかっていた。
嫌でもわかった。
出会った日のように、殺されようとしているのだと。
「もし君の言う通りこれから僕がする事を許さないというのなら、あの人はすぐに来るよ。あの夜みたいに。でも、今回はどうだい?」
ソリュードくん曰く、シュベルグさんは勘が良い。
だから止める意思が有るなら僕を遊びに誘いに出した時点で止めに入っているだろう。
それに、今もどこからか使い魔の目を通してこちらの様子をうかがっているだろうとも。
「君の事なんて、もうどうでもいいみたいだね」
くくっと目の前の彼が紅い目を細めて笑う。
僕を元の世界に帰す方法がいつまでも見つからないから諦めたんじゃないかなんて、彼は言う。
「本当にお前はお人好しの大馬鹿だね。僕が友好的に振る舞えば簡単に信じる」
これは冗談ではない。ソリュードくんは本気だ。
彼と初めて出会った時のような、冷酷な様に背筋が凍り付く。
今すぐこの場から逃げ出したい。逃げられない。
「……いいね、その目。僕を畏怖の対象だと思ってくれてる。今まで殺してきた奴らは皆、僕に何をされたかわからないまま死んでいったから」
彼が勢いよく手を振り上げたかと思うと、僕の鳩尾あたりにその手が突き刺さる。
彼の手が、お腹の中に入り込んでくる。血が滲みだして、着ているシャツが湿っていく。
助けは来ない。
シュベルグさんは前に言っていた。『身内を贔屓する事を赦して欲しい』と。
だから、今回も僕の命よりソリュードくんが僕を殺す事を許可する方を優先した。
そういう事なんだろう。
思わず涙が溢れる。
友達だと思ってたのに裏切られた事で?
シュベルグさんに見捨てられた事で?
今から僕は死ぬという事実に?
いや、全部だ。
「泣くくせに命乞いはしないのか」
ソリュードくんがつまらなそうに言い放つ。
『やめて』と言ったところで彼がやめない事はわかりきっている。
僕に対して“友達になった”という演技をしていたのだ、きっと最初からこうするつもりだったのだろう。
彼にとって僕らは捕食者と獲物の関係だったんだ。出会った時からずっと。
僕だけが仲良くなれたと勘違いをしていたんだ。
シュベルグさんも本当はソリュードくんの意図に気づいていたんだろう。
心臓がバクバクと大きく脈打つ。息が苦しい。
本当は怖い。死にたくない。でも、僕には成す術がない。
もう、どうでもよくなった。
助けが来ないのなら。元の世界にも戻れないのなら。この結末を受け入れよう。
でも、最後にこれだけ。
僕をずっと殺したかったというソリュードくんの悲願がかなうのだから。
「誰かを殺すのは、僕で最後にしてね」
恐怖で震える口元や体に無理をして、精一杯の笑顔を作って彼に向けてそう告げる。
大きな溜め息が聞こえた。
それからすぐに、何かが体の中から引き千切られたような感覚がして。
視界が隅の方からどんどん黒く塗り潰されて行って。
――そこで、僕の意識は途切れた。