アウトフォーカス:6

ENo.26.或る写真家 / 作成:2026/08/29 17:37 / 更新:2026/08/29 17:37
………

久々に実家に足を運んだ。

兄の嫁が亡くなっていることは、兄の手紙から把握していた。
兄はまめな人間だった。自分がどれだけ外に出て回ろうと、手紙は溜まる一方だった。
最近寄った場所のこと。
自分の嫁との生活。
子供が産まれて、とても可愛らしいこと。
撮影に赴いた先で、上の方々と仲良くできたこと。
他の写真屋の写真展を覗いたこと。
日々の細やかなことから、ちょっとしたイベントごとまで。
それから文末に、お前をいつも思っているよ、と、おあつらえたような言葉が結び付けられている。

兄嫁が亡くなってから程なくして逝ったな。
そんな感想を持っていた。一年ほどだろうか。
そのような内容の手紙が届いていた。
文章からは悲痛さが滲み、ひどく沈んでいたよう──あの人が沈まないはずもない──が、手紙を返すこともなかった。
今まで返さなかったのに、急に返したって、おかしいだけだった。
薄情に見せたかった。不義理だった。
そのままだった。

そのあとはずっと子供との話が書かれていたように思う。
そうして、久々に仕事に出て、原生動物に丸呑みされて死んだらしい。
推測でしかない。遺体は戻ってこなかった。



外側からノックを鳴らす。
はぁい、という呑気そうな子供の声がしていた。
扉が開いた。

ご対面。
沈黙が数分流れている。

「……」
「………」

「おい、水くれ」

命令を出す。かける言葉もなかったから。
困惑した顔を見れば堂々とわざとらしくため息をつく。
そのまま中へとズカズカ入った。子供は跳ねるように散った。

知っている空間。間取り。
家具の位置や、家具が変わっているから、記憶違いの部分がざわついて手触りの悪い。
なんとなく嫌だな、と思っていたところ。
キッチンの方から軽い濁音混じりの声が聞こえたから覗いた。
勢いよく水が出たらしい。
コップの底が跳ねっ返りを起こし、子供の服を濡らしていたようだった。

呆れたような言葉を吐いてから、自分でコップに水を注いだ。
それをぼんやりと眺めるだけのやつに、父親の部屋に行くぞと指示を出す。
指示を出せばピッと動くようだった。

頭を抱える心地だった。

ふくふくとしたほっぺは紅色をしていて子供らしい。
栗色の髪、藍色の目は、父の色で、自分の色だった。
少し丸っこい目が母方の遺伝なのだろうが。

いやでも、血縁を感じていた。







曰く、上から親代わりになれと命令されたこと。
曰く、この家に一緒住むということ。
曰く、自分も写真の街の人間だから、適度に家を空けるということ。

「だからお前に構ってる暇はあんまりない」

「お前の親父の代わりにはならねーし」
「俺はあいにく俺だっての」

「同居人と思え」
「どーきょにん」

「そーだ。…意味わかるか。一緒に住む奴のこと」

「いっしょに」

──子供の目がかすかに開いて。
少し光が灯ったように輝いた。
ほんのりとはにかみを表情に載せている。


期待、でしかない顔をみた。
人懐こく、人信用のしやすい、お人よし。
先ほどまで自分の外見をみてか、ビクビクと怯えていたくせ。

寂しいのに満たされていたから、誰でもいいから、誰かがいてほしかった。
1人寂しく過ごすのは嫌だ。
暖かい人がいるのがいいや。
だからどうか手を引いてくれ。
あなたは家族だから、あなたに縋るしかない。
そうしてくれたあなたになりたかった。
自分も、そういう人でいたかった。



「…」
「一緒に住むだけだ」

昔の感情が思い起こされるようで。
その色薄いものを剥ぎ取った。
兄にはなれないという根底の感情が拭いきれなかった。
本来はそうあらねばならないと自責を持とうと。

どうしようもなかった。

──だから1人でどうか生きられますように、と。
とことん突き放して生活をした。
それくらいしかできない。保護者の責任なんて難しい。
必要なことだけを教えた。自活能力が身につくように教えた。
ほとんどほったらかしにした。
天涯孤独であっても成り立つように。
初めに言った言葉と違わないように。
どうか自分のようなものを美しいと思わないように。
そうしてそう思ったとしても孤独を持たないでほしかった。
自分の好ましい写真を隠した。
自分が売りにしている写真を隠した。







「人は結局最後辿り着くところは一人であるということ」

「生きてる時も大概は一人。ついで、どれだけの家族に囲まれてよーと、最後死ぬときゃ、皆一人」


「ひとはひとりですか」

「そーだ。最後辿り着くのはだがな。道中も人を頼れるとは限らん」

「だからひとりでいきてけるよーにならなきゃですか」

「そー。最初っから、なら一人で生きてた方が、死ぬ時の荷物が少なくて済む」


「かわりに、自由が此処にある」
「人は孤独を持ち、自由に生きるものなんだよ、本来はな」
「一人は楽だぞ。気楽だ。自由に歩ける」
「自由に歩いて、あちこち回れて、好きな景色を見ることができる」

「写真家は、いい景色や物を誰かに届けるのが仕事だ」
「そのためにゃ、あちこちしなきゃならん」
「ついで、現地のやつが頼れるかはわからん」
「撮りたいものを撮るために、野営もあるだろーし、その瞬間の粘り込みをしなきゃならん時もある」
「普通の街の奴らにはできないことをする」

「だから、孤独」
「その代わりに、自由だ」

「…俺はお前に一人での生き方を教えに来ただけだ」
「時が来たら完全に離れる」


「いーな」


──せめて、親のアルバムに。
兄と、兄嫁の写った写真に、頬を擦り付ける癖がなくなるまでは。
それまでは、ここを帰り宿にしてもよかった。
どちらにせよそれが責任だった。
上からの命令だった。
それがなかったらこうはしていなかった。
そんなところだった。



冷たい人間だと思う。