ここを出ていくまえに

ENo.34.ナナシ / 作成:2026/08/30 23:20 / 更新:2026/08/30 23:20
これがだれかに見られるか、それともどこにものこらないのか、それはわかりません。
だけど、ここにわたしがいたことをわすれないために、これをのこしておきます。

わたしは、小さなねこでした。
おとうさんもおかあさんも、きょうだいも、きがついたときにはいませんでした。
にんげんの子どもたちにたべものをわけてもらって、なんとか生きているまい日でした。

あめがひどい日のことでした。
つめたいあめをしのごうと、はしの上をあるいていたとき。
つよいかぜと、あめにおされて、わたしは はしからころげおちて。
川にながされて、おぼれてしまいました。

つめたくて、なにもみえなくなって、くるしくて


そうして、きがついたときには、ここにいました。
ここは、"あわい"。しんだ人がすこしのあいだ、すごすばしょなのだと。

しんだときのことをおもい出したときは、とてもこわくて、さむくなりました。
あんなくるしい思いを、もうしたくないと。


だけど、こんなわたしにも、ここで友だちができました。
あおいふくとはねの、やさしいおんなの子です。
その子のおかげで、わたしはもういちど、「つぎ」に向かうけっ心がつきました。

これをもしもみているあなた。
あなたがここで、どうすればいいかとほうにくれたとき。
そのときは、ここで出あった人のことをおもい出してください。
きっと、あなたのこまったことをいっしょになってなやんでくれると思います。


わたしは、ナナシ。なまえのない、ななしのこねこ。
川でおぼれてここに来て、ここで出あったおともだちのおかげで「つぎ」をえらぶゆうきを出せました。

このおてがみがだれかにとどくかは分からないけど、
これをみたひとのなやみが、すこしでもかるくなれば、さいわいです。



【市街地の、立て看板のある空き地に残された一枚の手紙より】