アウトフォーカス:3

ENo.26.或る写真家 / 作成:2026/08/26 07:45 / 更新:2026/08/26 07:45
──父親は一枚を追い求めすぎた馬鹿共の1人だった。
ただそれだけだった。だからこう言う言葉を子供には残している。

「自分の美しいと思うものを追い求めなさい」
「今はまだ定まっていないだろうが」

「そうすれば、一生を幸福に過ごせる」

……
頭の硬い、偏ったそれを、兄は信じたことらしい。
はあいと初めて持つカメラを抱えたまま返事をしたものだったそうな。
それは正しかったよ、とレンズの調子を見ながら。
そんな話を、俺がカメラを持った時に聴かせて話したから。
俺も、はあいと似たような返事をした。
一生を幸福に。
一生の終わりというのは、そんな先にあるものなのだろうか。
自分は家庭を築けたとしても。
果たして、どれだけ幸福に生きられるというのだろうか。

見えないところを見ていた。
ピントは、全く合わなかった。




兄と自分はよくある典型的な兄弟だったと思う。
兄の方が抜けていて、弟の方がしっかりしている。
兄の方はぽけっとした姿が多かった。
典型的な長男で、ついでに言うなら歳も離れていた。
ほとんど一人っ子として育て上げられたようなものだろう。
幸福に、満たされた。
気まぐれで2人目はできてしまっただけだ、と。
理由も聞いたことはないが、捻くれていた自分はそう思っていた。
必然的に、後ろのチビはしっかりするしかなかった。

親は両方とも死んだ。
夫婦仲良く撮りに行って、その先で自然災害に巻き込まれたか何かで死んだらしい。
亡骸は戻ってこなかった。

街の住民は皆平等に薄情だ。
かわいそうとだけ口にする。
あとは、なにもなかった。

2人しかいないのだから、支え合わなければいけなかった。
それを強いられることのなんと窮屈なことか。
その役割を与えられるのの窮屈なことか。
必然的にしっかりする側に落ちていった。
致し方ない部分もある。
家事から兄の写真の現像。
兄はその時にはもう随分と背も高かったから、大人と同じように写真を撮りにいくことが許されていたのが不幸中の幸いだった。
そうなると、外に撮りにいく兄に対し、自分は自分のことを全て自分でやらねばならなかった。
自立心は鍛えられた。
なんだってできる。どこだっていける。
孤独に。


しかし、仲は悪くなかったのも事実だった。
それは両親が生きていた時からずっと、ではあった。
可愛がられていたと思う。遊びをねだれば遊んでくれて、できないことがあれば教えてくれる。
それは大人としてではなく子供の範疇ではあるのだけども。
子供なのだからそれだけで十分だった。
年長の分、親をなくせば保護者の責任が兄にはのったことだろう。
結局、得意だから役割がこちらに回ってきただけだった。
家事も、写真屋としての事務作業も。
初めは全部抱え込んで1人でやろうとしていたもんだから。

「…兄貴さあ、」

「ん、なぁに、」

「…そんなにおれ頼りねーかな…」

苦笑いを返されたのを覚えている。
頼りなくないよと口にされて。
じゃあ、と役割を分担した。
しっかりした役を引き受けたのも半分は自分だった。
そんなに窮屈では、実はなかった。
しわしわの洗濯物。焦がしたトースト。
掃除だけはきちっとされていて、それだけは兄に任せていた。
写真を撮るために外回り。
しながらも、戻ってこれば自分と話す時間を必ず取るようにしていたのだと思う。
写真の撮り方も、撮るところも父からは中途半端にしか学べなかったから。
兄から、コツだとか、父がどう撮って、こだわっていたのかを教えてもらった。

兄を好いていた。兄を尊敬していた。

目の上のたんこぶは。邪魔にならないようにいたかった。
兄はできる人間ではなかったが。
兄のような、優しい人間になりたかった。
なれるものだと思っていた。