生前の記録その4『壁』

ENo.11.宮野森 凛太郎 / 作成:2026/08/26 07:47 / 更新:2026/08/26 07:47
ソリュードくんと仲良くなろうと考えたのはいいものの。
いざしようとするとどうしたものか。
彼は僕に対し明らかに敵意を抱いている。
僕が『人間』だからというのもあるし、彼にとっては『仕留め損ねた獲物』だ。
彼が近くに居ると察するとインプに「行くな」と言わんばかりに服を引っ張られる。
それでも場内で鉢合わせをすれば無視をされる。
声をかけようにもなんて言えばいいか。

そんなことを考えながら、今は城内の書庫に居る。
ずらりと並んだ本棚に多くの本が収まっている。
暇潰しにと何か手に取って読もうにも、当然ながら何て書いてあるのか読めない!
地図を見せられた時にも思ったけど言葉は通じるのに文字は僕の世界とは全く異なるものだった。
本を取ってはぱらぱらとページを捲っては棚に戻すのを繰り返し、読むのを諦めた時だった。

「字が読めなかったか」

書庫に入ってきたシュベルグさんに声をかけられる。

「……はい」
「そうか。君にとっては異世界の文字だからな」

シュベルグさんが本棚の一つの前で立ち止まる。
そして一冊の本を取り出して、こちらへと持ってくる。

「読めないのは不便だろう。どの字が何て読むか教えてあげよう」

それは児童向けの文学書らしかった。
壁の方に置かれた書斎机の椅子に二人で並んで座り、内容の読み聞かせをされる。
なんだか幼い頃を思い出す。
自分もひらがなやカタカナを読めるようになるまでこんな感じだったっけ。
シュベルグさんは机の引き出しの中から紙とペンも取り出し僕が字の書き写しをできるように配慮してくれた。
ペンは昔ながらの羽根ペンとインクだった。
正直、昔の海外の映画の中でしか見た事が無いものだった。
最初は付けるインクの量や筆圧の加減に苦労したけれど僕の識字力が上がるにつれてそれも同時に慣れていった。
簡単な内容を読めるようになるまで数日を要したけれど、シュベルグさんは付き合ってくれた。
ソリュードくんと仲良くしたいのにシュベルグさんとの仲が深まってる気がする。
彼も恩人だし親しくしたいから問題は無いんだけど。

そうして僕が字の読み方を教わっていた時にシュベルグさんがぽつりと漏らした言葉が有る。

「……あの子・・・とも、昔はこうして一緒に本を読んでいたものだ」

『あの子』というのは勿論、ソリュードくんの事だ。
どうやら彼とは最初は兄弟のような関係で、ソリュードくんもシュベルグさんのことを慕っていたらしい。
けれどそれがある日を境に彼の表情からは笑顔が消え失せ、シュベルグさんのことを避けるようになったそうで。
確かに、見ているとソリュードくんのシュベルグさんに対する態度はどこか冷淡でよそよそしい。
その事を語るシュベルグさんは悲しそうに笑っていて、僕は気づいた。
寂しいんだ、と。
ソリュードくんが人間を狩り続けている事も彼は本当は快く思っていないし、心配している。
そして思った。ソリュードくんは孤独だと。
一族からは迫害を受けている。だから仲の良い友達も居なさそうだった。
シュベルグさんのことを拒絶し始めた辺り、自ら孤独の道を選んだのかもしれない。
それでも僕は、二人の仲を修復したいと思った。
僕とは仲良くなれなくても、シュベルグさんとは元の関係に戻ってほしい。
彼が猟奇的な行為を繰り返す動機が自分も立派な魔族だという事の証明が欲しいのなら。
その根底にはソリュードくんにも一族に混ざれない“寂しさ”が有ると思った。
その寂しさが埋まれば。
せめてシュベルグさんからは一族の仲間だと認められている事を再認識してもらえれば人殺しをやめてくれるんじゃないか。
なんて、短絡的な発想だけれど。
実行に移してみなきゃ、わからない。

その翌日だ。
僕は、インプの制止を振り切って城内の廊下を歩いていたソリュードくんに会った。
今回も彼は僕の事を無視して通り過ぎようとする。

「……あ、あのさ!」

咄嗟に声をかけると彼は立ち止まってくれた。
こちらに振り返り、僕を見る視線は冷たい。

「なんだ」
「えっと……」
「用が無いなら話しかけるな」

いざ話を切り出そうとすると躊躇してしまう。
僕のやろうとしてる事はお節介だ。それでも。

「待って」

再び歩き去ろうとした彼を呼び止めようとする。
でも、立ち止まってはくれない。
それならば、せめて用件だけでも伝えようと口を開く。

「シュベルグさんのこと、もっと頼ってもいいと思う」

彼がぴたりと立ち止まる。
こちらの事は振り返らない。
でも、話を聞いてくれる意志は有るのだと思った。

「彼、ソリュードくんのこと心配してるよ。だからその想いに応えてあげ――」

僕が話を言い終わるよりも先に、彼がこちらに飛ぶように瞬時に迫ってきた。
壁に向かって体を押し飛ばされて、顔のすぐ横に僕の脚を貫いた物と同じような鉄の杭が大きな音を立てながら石造りの壁に突き刺さる。

それがどうした

顔が近い。僕のすぐ目の前で光の無い紅い瞳でソリュードくんが僕の事を睨みつける。
その声は低く、怒りが籠っていた。
インプがすかさず僕らの間に割って入る。
「これ以上はやめろ」という意思表示だろう。
僕の前で両手を広げ、彼に離れるよう求めている。
ソリュードくんは呆れを含んだ大きな溜め息を吐くと、一歩下がり。

「『人間・・』が僕らの事に口を挟むな」

壁に刺さっていた杭が紅い粒子となって砕け散る。
そして彼が顔を背けて再び歩き出そうとした所に、慌ててまた声をかける。

「だったら、せめて僕と『友達』になってくれないかな」

彼が振り返る。
面を喰らったような表情。それでいて、相変わらず冷たい視線が注がれる。

「何を言い出すかと思えば……。お前は馬鹿か。誰が『人間』と友達になるものか」
「本当は寂しいんでしょ?」
「抜かせ」

彼が眉を顰める。
先程よりも明らかな嫌悪を含んだ表情でこちらを見ている。

「それに、血が欲しいのなら僕の血をあげるから」
「それは命を差し出す気になったって事か」
「そうじゃなくって……」

血を求めるなら何らかの方法で僕が血を流すからそれを飲んでほしいと。
これ以上人を襲うのをやめてほしいとそう伝える。
人を殺すのは良くないって思うし、シュベルグさんだってソリュードくんに本当はやめてほしいと望んでいるから。

「お前は異世界の人間だ、この世界の人間がどうなろうと知った事無いだろう。全員顔も知らない他人だ。どうしてそいつらの事を考える。助けようとする?全く理解できないな」

そう淡々と語る彼の顔は無表情だ。声にも怒りは感じられない。
有るのは呆れだ。僕に対し心底呆れている。そんな風に。

「お前は血の一滴や二滴飲ませれば僕が満足すると考えているんだろうが。それじゃあ物足りない」

――お人好し。
そう言い残して、今度こそ彼は僕の前から去って行った。
やはり駄目だったか。
それも当然だ、彼と親しくなるための順序を飛ばしての突飛な発言だったのだから。
人殺しだって彼は血に飢えているのではなく『己が人外という証』が欲しくて行っている行為だ。
断られるのも無理はない。
肩を落とした僕は俯き、その場に立ち尽くす。

すると後ろから足音が聞こえた。
振り返ると、そこにはシュベルグさんが居た。
僕達の話を聞いていたらしい。

「君があの子の事を考えてくれているのはわかる」

肩に手を置かれ、穏やかな声で語り掛けられる。

「でも君は平和な世界の人間なのだろう?君は我々の価値観に染まってはいけない。あの子の事を理解しようとするのはやめたまえ」

声こそ穏やかだったけれど、その表情は悪戯した子供を叱りつけるような少し険しいものだった。
シュベルグさんの言いたい事もわかる。
僕は異世界の住人だから、この世界に馴染み過ぎずに帰ってほしいんだと。
そして僕がソリュードくんに向けているのは『優しさ』ではなく『甘さ』だとも告げられた。
それに『友達』になったとしても僕はいずれ元の世界に帰ってしまう身だ。
僕が帰ってしまったら結局ソリュードくんはまた独りになる。

けれど僕はソリュードくんのことを放ってはおけなかった。
それは元の世界に居る友達とどこか似ていたからかもしれない。
今回は駄目だったけれど、まだ諦められない。
次は徐々に、慎重に彼との距離を詰めていければ。そう思った。

彼の閉ざされた心の壁はとても厚い。
仲良くなれるまでの道程はきっと長いだろう。

――そう覚悟していたのだけれど、状況が変化するのは思ったよりも早かった。